シリーズRAF日記/日経コラム「記者のバイアス」に思う「報道の物差し」(第5回<2021年8月31日>)

シリーズRAF日記/日経コラム「記者のバイアス」に思う「報道の物差し」(第5回<2021年8月31日>)

プロモントリーフィナンシャル・ジャパン(日本アイ・ビー・エム プロモントリー事業部) 大山 剛

NIKKEI FINANCIALのNEWSLETTERに共感

昨年末以来ずっと途絶えてきたRAF日記、久しぶりに再開します。今回のテーマは、8月28日にNikkei Financialのnewsletterとして高見記者から購読者に配信されたコラム「記者の「バイアス」とは何か」です。一見RAFとは関係ないように見えますが、実は深いところでつながっているなと感じました。
このコラム、検索したところ、Nikkei Financial内には掲載されていないようです。実際に読んでいただくのが一番良いのですが、その内容を一言で言ってしまえば、日銀のスタッフも、財務省の職員も、そして日経の記者も、みんな、それぞれが直面する問題(日銀であれば金融政策における金利復活、財務省であれば財務政策における財政規律強化、日経新聞であれば例えば政府の政策に対するネガティブバイアス等)に対し相当明確な「バイアス」を持っているということです。
そうした自覚の下で、コラム内では「自分が周りと比べてどういう考えに偏っているのかを自覚することが大事」「メディアは多様な「バイアス」のぶつかり合うオープンな議論をもっと提供していくべき」「「バイアス」の所在を常に意識しながら、冷静な報道に心がける」と自らを戒めています。
記者が自らのバイアスを「告白」したという意味では、非常に好感が持てる内容です。同時に、昨今のコロナ関連報道で辟易した自分としては、非常に共感が持てる内容でもありました。

コロナ報道に思う報道バイアスの混沌

私がなぜ、最近のコロナ報道に辟易していたか。それは、各社の報道にバイアスが掛かっていたから、というわけではありません。最大の理由は、連日報道されるニュースに掛かるバイアスに「一貫性がない」点です。より強く言えば、「互いに矛盾する」バイアスを持った報道が連日平気で続けられていることです。ある日の報道ニュースでは、キャスターが悲しいそうな表情で、「これだけ新規の患者数が増え、入院もできずに自宅療養で苦しんでいる患者が何人もいるのに、政府は一体何をしているのか」的調子で視聴者に訴えかけます。そしてその翌日に同じキャスターが、「政府の厳しい行動規制の結果多くの飲食店が閉店に追い込まれており、商店街の我慢も限界に近付いている」と、怒気を含んだ表情で言い放つのです。それぞれの問題に関心を持つ視聴者には多分心地よく響くフレーズなのかもしれませんが、真剣に政策対応に臨んでいる政府当局からしてみれば、180度逆方向の政策対応を日を置いて訴えるこのキャスターに強い憤りを覚えるのではないでしょうか。

敢えて言うまでもなく、あらゆる政策対応や経営戦略には通常、多くの「トレードオフ」が存在します。上記に挙げたコロナ対策であれば、例えば、「感染拡大の封じ込め/死亡者の極小化」と「経済活動のできるだけ早いタイミングでの正常化」が最たるものでしょう。この両極の間のどこに国民コンセンサスを形成するかが求められるなかで、あたかもトレードオフが存在しないかのような両極実現の議論を展開されても混沌が深まるだけです。

同様に金融政策にも「長期の歴史的視点に立った(金利を通じた)金融規律の復活」と「デフレ懸念払拭のための金融規律崩壊座視」といったトレードオフ、そして財政政策にも「中長期的財政規律の回復」と「恒常的需要減退に直面する中での財政規律弛緩の許容」といったトレードオフが存在します。

異なる座標軸が多くなる中での報道の「物差し」の必要性

このようにトレードオフのベクトル上の様々なポジションに位置する意見が出てくるなかで、私が重要だと考えるのは、高見記者が指摘するように、まずは報道する側が自分のバイアスを明確に意識することだと思います。多分バイアスという言葉の使用自体、ネガティブな響きを持つもので適切ではないかもしれません。バイアスというよりは、トレードオフを有する社会問題に対する「ポジション」といった方が相応しいでしょう。また、さらに重要な点は、ポジションの自覚に止まらず、こうしたポジションを読者や視聴者にも積極的に伝えていくことだとと考えます。こうすることで、ポジションに係る「不確実性」を減じると同時に、互いに矛盾した異なるバイアスをご都合主義的に用いることに対する牽制も働きます。

例えば米国であれば、メディア各社毎にかなり明確な政治的「色」(共和党系か民主党系かという意味で)があり、そういう意味では「社」という存在が報道内容のポジション/バイアスを読者/視聴者に示す一つの手段となっています。日本にも社毎にある程度の「色」はありますが、米国ほど明確ではありません。この結果が、冒頭のニュースキャスターの例で挙げた「八方美人」的報道に繋がっているのかもしれません。また米国の報道各社が持つかなり濃い「色」であっても、多くの社会問題が「正解のない」深刻なトレードオフに直面するなかで、これだけで各社のポジションを示すことは難しくなっています。
では、どうするか。ここからは私のややSF物語的突飛な主張となるのですが、将来的に報道機関は、伝える全ての報道に関し、少なくともそれを書いた記者がどのようなポジション/バイアスを有しているのかを予め自己申告させた上で、それを記事とともに示すすべきではないでしょうか。勿論記者の名前まで示す必要はありません。ただ、この記者が多くの社会問題の是非を巡るベクトルに対しどのようなポジションを有しているのかが分かれば、それだけでも、その記事の内容をより客観的に評価することが出来ると思うからです。勿論そのためには、ポジション/バイアスを比較可能な形で測るための共通の物差しが必要とはなります。それは例えば、1(弱)~4(強)段階評価で、【市場機能信認度】4、【従来型金融政策信頼度】2、【従来型財政策信頼度】3、【外交(自主独立)】3、【コロナ禍対応(人口当たり死亡者数と成長率下振れ幅を2軸とした4象限の中での選好度)1……、といったものになるのでしょうか。

ここまで書くと、RAFとの共通点に気づいた方もいるかもしれません。企業の経営戦略遂行に際し直面する多くのトレードオフの中で、どのような選択肢をとるのかを「見える化」するシステムがRAFです。ここでメディアに求める記事を書いた記者のポジションの明確化も、結局は同じこととなります。メディア各社にとっては、多様な記者が異なるポジションを持つなかで、自社として許容する範囲はここまで(報道各社にとってのリスクアペタイトのようなものです)と予め決め、各記者はその範囲に沿って記事を書く(嫌であれば、他社に移る)ことになるはずです。
上記はあくまでも私の逞しい想像の産物ですが、今や全ての上場企業が事業や保有資産の「グリーン度」の開示を求められる、或いはお金も金融資産もCBDCやブロックチェーンで色が付けられる「フルカラー」の時代です。記事の背後にある記者の「色」を示す時代が近く到来してもおかしくないと、密かに信じています(記者の皆さまからは、それを導入するのは政治家が先でしょ、とのご指摘を受けそうですが…)。