シリーズRAF日記/ コロナ禍に直面する中で「RAFとは何か」を改めて考える(第1回<2020年9月24日>)

シリーズRAF日記/ コロナ禍に直面する中で「RAFとは何か」を改めて考える(第1回<2020年9月24日>)

プロモントリー・フィナンシャル・ジャパン 大山剛

皆様、こんにちは。プロモントリーフィナンシャル・ジャパンの代表を務める大山です。新型コロナが引き続き日本を含む世界の経済や社会に重くのしかかる中、金融機関や企業が直面するリスクを見極め、これの制御や対応を担う皆様方に置かれましては、多忙な毎日を過ごされていると思います。大変ご苦労様です。

当初は一過性かと思われた新型コロナの襲来が、マクロ経済や人々の生活スタイル、さらには人々の考え方にまで永続的に影響を与えようとしている今、金融機関や企業の経営を取り巻く不確実性は格段に高まっています。さらには、温暖化に伴う気候変動の激化、貧富差拡大に伴う先進民主主義国における社会分裂、そして米中対立の激化に伴う新しい冷戦の始まり等、私達の生活の前提を大きく突き崩すような事態が相次いでいます。正に「不確実性のデパート」の時代がやってきたといっても過言ではありません。

こうした中で経営に問われる視点とは、数多の不確実性を「考えても仕方がない」と放置するのではなく、この不確実性を読み解く努力を行うと同時に、一定の仮定を置くことで不確実性を自分の物差しで測り、自分の物差しが独りよがりなものに陥らないようにステークホルダーと共有することで、不確実性への対処をステークホルダーの納得を得ながら実行することではないでしょうか。

不確実性への対処の「見える化」と、これの主要ステークホルダーとの「共有」、これは正にリスクアペタイト・フレームワーク(RAF)の考え方そのものです。明日の世界が相当な確率で現在の延長線上に位置づけられた時代、すなわち不確実性が限られた時代においては、敢えてリスクに関する自分の物差しを持ち込み、これを外部の他者と共有しなくても、世の中で自然に共有された空気さえしっかりと読み取れば、後はその空気の期待に応えるだけで経営の方向性は見えてきました。RAFといった難しい概念を敢えて持ち込まなくても、その気になればうまく経営が回った時代です。

残念ながらそうした時代は終わったと言えます。世の中の価値観に様々な(解なき)深刻な対立軸が鮮明に浮き上がって来たのです。例えば、最近の例としては「(金融緩和/減税による)貧富差拡大に目を瞑った経済拡大 vs. 経済拡大をある程度犠牲にした貧富差縮小」に始まり、「CO2削減のための原発拡大vs.原発廃止のためのCO2容認」「米国につくかvs. 中国につくか」等々が挙げられるでしょうか。最終的な「勝者」がみえない不確実性の世界では、結局経営者はどのステークホルダーのどういった考えに与し、経営を行うのかといった「踏み絵」を踏む必要があります。それが正に経営者のリスクアペタイトを示したリスクアペタイト・ステートメント(RAS)となります。

上記のようなやや過激に響く表現に対しては、決まって次のような反論があるでしょう。「対立を乗り越える術を考えるのも経営ではないのか」と。確かに一見相反する期待を有するステークホルダーの期待を一様に満足させることが出来れば、それに越したことはありません。しかし現実問題として、それは非常に困難な途です。こうした途を選ぶのも一つの考え方ですが、そのためには少なくともRASの中で、それをどうやって実現するのかを説明しなければなりません。一番の困りものは、解がないまま、全てのステークホルダーの相異なる期待を満足させるとRASの中で宣言することです。解がない以上、こうした宣言は全てのステークホルダーの期待を裏切ることに繋がります。

以上やや辛口のスタートとなってしまいましたが、このシリーズでは、RAFに関し著者が日頃考えていることを率直に語っていきたいと考えております。皆様とお会いする場面等で皆様の忌憚なきご意見を頂ければ幸いです。